長崎は今日も雨だった     平成14年5月4日
午前11時過ぎにやっと懐かしい終点長崎に到着。
長崎駅前が近代的に模様替えされ、学生時代に行った映画館(ニュース館)は無くなっていた。連休中で混んでいると想像していたが、国中不景気で長崎も例外ではないのでしょう。そういえば、新聞等で網場の水族館やオランダ村が閉鎖されたと知ったが、それも最近のことだったような気がする。
昔、キャンベラ号が連休中に入港し、市内では港祭りも催されていた情景が思い出され、もっと活気があったようだ。長大祭があるのも5月だったような気がしてきた。
楽しかった青春時代。懐かしい!懐かしい!
名物チンチン電車に乗り、大学周辺を訪ねるのが今回の目的である。昔は20円でどこまでも乗れたが、今も同じだろうか。1番か3番に乗れば大学まで行けることを思い出した。歩道橋からの風景は、あんまり変わっていない。
卒業後、長崎水害がおき水浸しの駅前が映し出されたが、脳裏に思い出が次々と沸き起こってくる。
ちょうど1番の電車が正覚寺からやって来た。途中、大橋の野球場が新しく作り変わっていた。電車道に沿ったビル群の高さは、過ぎ去った年月と記憶の中の風景を覆い隠してしまう。
もう少し時間が取れる年代になって訪れたら、ゆっくりと散策できるだろうが記憶はもっと薄れてしまいそうだ。
大学正門前に到着。古びた教育学部のプール跡が見えた。歩道橋があったような気がするが、間違いかもしれない。
岩屋橋のパチンコ屋は無くなっていた。時間を持てあまし通ったことを思い出すが、勝った記憶がない。構内に入るが、かなり狭くなったような気がしてならない。中部講堂では今でもコンサートをやるのだろうか。
薬学部までの道で学生とすれ違うが、活気がない。今は休み中で、帰省しているのだろう。
教養部の前で、アジ演説が行われていた頃を思い出す。そう言えば、授業料値上げ反対でストライキをやったのだった。
昔は自由に校舎に入れたのに今は何処も入れない。談話室でコーヒーでも飲もうと訪れるが、既に学生用の談話室では無くなり、入ることも出来なかった。自由な雰囲気がいつしか消えてしまっている。構内での車・バイクの多さにはビックリした。そのおかげで狭く感じるのかもしれない。
当時はクラスで1人か2人が車で通学していた。私も免許は学生時代に取ったが、当分ペーパードライバーであった。
ところで、九薬連の大会があったが、今でも残っているのだろうか。
同窓会会館が中講義室の南側に建設されていた。記念撮影を1枚。同伴している家内(同じ薬学卒業生の悦ちゃん)に大きさが分からないので前に立つよう促した。
園芸部でスイカ、ウリを栽培していた花壇が無くなってビルが建ったのだ。そう言えば、スイカを栽培したが1度も食したことがなかった。誰が盗んでいたのか。実験で使ったネズミを肥やしにすくすくと成長するはずだったのに!
部室の方に回ってみたが、薬学部のクラブ活動は衰退したみたいだ。野球部はOB戦として毎年戦い、その後、親睦会をやっていたしテニス部も同様だった。軟式テニスだったので、やる人がいなくなったのかもしれない。それにしてもコートの荒れ様はひどい!
部室棟も朽ちる寸前。同窓会からの資金援助は無くなったのかと思わせるような状態だ。卒業後、4半世紀が経ち、学部内の木々がすくすくと成長し、学生に木陰を提供できるようになっていた。
建築10年後位だったので、真新しい感じで、活気がみなぎっていたような気がしてならない。
少々、失望してしまった。
後日、学部校舎の建設のためと判明しました。テニス部の先輩・後輩、申し訳ありません!
裏門から出て、歩道橋からバイパス道を望む。この並木は変わっていなかった。
突然、雨が落ちてきた。これから、扇町の下宿先等を散策することにしているのに何と言うことだ。先に昼食をとった方がいいかもしれない。純心裏の大力食堂に白衣姿で通ったものだ。食堂の前には銭湯があった。家内も利用していた。
夏には茶道部室隣のシャワーをよく利用したが、今は無い。洗濯機が設置してあり、晴れた日曜日に洗濯して、前の鉄網に干したことを思い出す。
食堂も銭湯もなくなってしまっていた。何処の都市でもそうだが、近代化の波で銭湯が真っ先に姿をけしたような気がする。あきらめムードになった時、突然大粒の雨が降り出した。これでは、散策どころではない。
傘は1個しかないのだ。家内と相合い傘という洒落にはならない。後輩の竹ちゃんから頼まれた、今の大手町の写真を撮らないと。
あっという間にずぶぬれ状態になってしまった。駅前に着いたとたん、脳裏に雨の情景が浮かんだのはこのことを暗示していたのか。
クールファイブの「長崎は今日も雨だった」を口ずさみヤケになって昭和町を目指した。
やはり、途中にあった昭和町の銭湯も消えていた。スナック道はどうだろう。同級生等と大人のまねごとをして飲んだのもこのあたりだ。
コーラと豚まんを良く買った交差点角の店も閉店していた。よく、純心の短大生と出くわした場所だ。(実は、それがねらい目だったが)やはり、スナック道は消えていた。
急ぎ、大手町方向の写真を撮り、電車で駅前に戻ることにした。店の軒下で雨宿りしながら、住吉方向へ。突然、家内が昔行ったラーメン屋の看板を見つけた。でも、私は入った覚えはなかった。
反対側に「なかまさ」の看板発見。昔は「中正」だったような気がするが、ここでは丼物をよく食べた。
やっと、昔からの店が残っていた。ずぶ濡れの格好では入りにくく、そのまま住吉まで行くことに決め、先を急いだ。
丘の頂上から住吉方面を見ると高い建物があちこちに見られる。ひょとしたら大学周辺で一番変わった地区ではないのか。煙った中にダイエーのマークがある。
あの場所は映画館があった場所だ。ダーティーハリーを連続してみた。勿論、ピンク映画もあった。青春の一こまが鮮明に蘇る。それにしても、この雨にはまいってしまった。
住吉にやっと到着した。ずぶ濡れの格好で、街中を歩き回るのには気が引ける。若かったら恥ずかしさも無かったかもしれないが、思い出の散策も若さを無くした50男には分別が出てきた。
ダイエーの中に入り、濡れた服を乾かすことにし、ついでにここで食事をとった。そのうちに、小雨になり、傘も追加できると考えたのだが。
1時間後、外に出てみたら止む気配が全くなかった。電車道に出て、本屋の隣のパチンコ屋が残っていたのでしばらく打ってみたが出なかった。あきらめて、電車に乗り駅前まで。JRで諫早の宿泊先へ戻った。
実感したのは「長崎は今日も雨だった」のメロディーではなかったかと列車の中で思った。
筆者:橋本 覚(S52卒)       
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